2年間勤めた開発アルバイトを辞めた

2年間お世話になったバイト先を辞めた。所詮バイトだけど退職エントリというやつ。

始まり

遡るは大学2年生の冬頃、1年弱勤めた家電量販店のバイトを前年度の末に辞め、必死に開発系のインターンを探していた。本当はもっと早くから開発系の仕事をしてみたかったのだが、大学1年時は色々あってそれどころではなかった。この暗黒期を詳しく語るつもりはないが、とにかく家電量販店でのバイトは自分にとって社会復帰のような役割を果たしてくれた。バイトしながら金を貯め、プログラミングの勉強もし、Webサービスを自作したりしてある程度プログラミングに慣れることができた。これで準備万端というところで家電量販店のバイトを辞めた。(年末商戦で大量のお客さんが来るのが億劫だったのも理由の一つではあったりする。)

さて、そこでインターンを探し始めたのだが、結果から見るとこれは失敗だった。当時の自分はインターンと聞くとバイトと変わらないようなもので時給がきちんと出るとばかり思っていたのだが、現実はそうでもなかった。基本は無給で交通費のみ支給、戦力化基準を満たしたら賃金が発生する、というようなところが多かった。これは私が探したところがそういうところばかりだったのか、一般的にそうだったのかは分からない。しかし、そうした認識のズレがあり、インターンは長続きしなかった。やりますと言った次の出勤日当日に電話をかけてやっぱり辞めますと言ったり、あるいは無限に続くかに思われた研修に嫌気がさして飛んでしまったり。本当に申し訳ないことをした。ごめんなさい。

こうした失敗を通して、確実に給料が出るバイトをメインで探し始めることにした。当時からエンジニアとして就職することを意識していた私には、そこでの経験が就活に活きるかどうかも重要であったため、この選択には一抹の不安があった。一般的にはインターンの方がバイトより受けが良いような気がしたからだ。専攻が情報系とかけ離れている、ましてや文系の私にとっては就活の成否を決定すると思ったからだ。まあ、後から思えばインターンだろうがバイトだろうが開発経験には違いがないため、そこまで神経質にならなくてよかった。

Indeedで「Ruby バイト」と検索(Rubyは当時の私が唯一まともに使えると言って良いプログラミング言語だった)、出てきた会社をリストアップし、良さそうなところに決めた。 すぐに折り返し連絡が来て、面接の日程を決めた。勝手がわからなかった私はスーツで行った。オフィスはマンションの一室にあり、はっきり言って怪しい雰囲気が漂っていた。チャイムを押して挨拶をすると、社長に困惑されながら「えーと、バイト希望の人でいいんですよね?」と言われた。Web系は私服で行くべきだったらしい。ちなみに、それ以降就活も含めて私がスーツを着たのはこの一回きりだった。 面接ではコーディングテストが課された。あとは数学の文章題。これには驚いた。コーディングテストは予想できていたが、まさかの文章題とは。焦って頭が真っ白になったが、SPIで出てくるような数学の問題だったので落ち着いて考えれば解けた。その場で採用を通知された。 帰り際、「あ、忘れてたけど時給は〜円です。」と言われた。時給が出るのが何より嬉しく、安心した。

それから

入社後の研修は手厚く、最初に始める開発バイトとしてなかなか良い環境だった。バイトを多く受け入れているようで内容も充実しており、研修が終わるとそのままスムーズに業務に移行できた。また、何より嬉しかったのはスッと働けることだ。どういう意味かって?出社したらおはようございまーすと挨拶をして、PCを開いて作業を開始できることだ。出社したらまず着替え、食堂で時間を潰し、タイムカード打刻の列に並び、10時キッカリになったら大きな声で「本日も一日、笑顔で明るく元気よく〜」などと言って打刻し、「接客9大用語、いらっしゃいませー!ありがとうございます!おそれ...」などと唱和をする必要がないということだ(これでどこで働いていたかバレてしまったかもしれない)。でもこれはこれで案外楽しかった。人生は経験だ。色々と勉強になったし、このくらい厳しい方が当時の自分を叩き直すには良かった。

バイトでは色々な業務をやった。スクレイピングをやったり、名寄せをしたり。一番長くやっていたのは自社サービスの開発だった。また、その一貫としてSQLのクエリチューニングなんかを熱心にやっていた時期もあった。後述するが、この経験が後の就活であそこまで役立つことになるとは思わなかった。

就活

Web系の就活は早い。就活は大学3年生の秋頃から始めた。翌年の1,2月にはもう内定を決めて身を落ち着かせたいということでバイトの出社頻度を減らし、就活に集中できるように調整してもらった。その時に社長にアドバイスしてもらったことは今でも覚えている。 「成長してる会社に行った方がいいですよ。失敗してる会社に行くと自分の価値まで低く見られてしまう。地銀の人とか転職しようとしてる時に苦労してるでしょ。あとはちゃんと利益を上げてる会社。よくAIベンチャーとか一時取り沙汰されましたけどね、ちゃんと利益が上がってる会社って一握りなんですよ。そういう評判とかに騙されずにちゃんと利益を積み重ねてるところに行った方がいいです。」 というようなアドバイスをもらった。にわか仕込みの知識でも会社の決算資料なんかをざっくりとでも読んでおくのは大事かもしれない。就活中はできていなかったが、就活後になってこのアドバイスを思い出して簿記2級の資格を取ったりした。

さて、1月には就活を終えた。その当時は前述したクエリチューニングの仕事をメインでやっていたためアピールに使っていたが、これがなかなか刺さった。おそらく、自分が受けている企業では何らかの形で開発の実務経験がある学生は珍しくないだろう。しかし、その中でもクエリチューニングというのはなかなか経験しにくい仕事なのではないかと思う。大した専門性も際立った能力もない自分のような人間が唯一差別化できたとしたらそこだった。その証拠にこのエピソードを一次面接で出して以降、最終面接を含む全ての面接で「クエリチューニングの話を聞かせてください。」と言われた。

そして

そして現在こうしてブログを書いている。あのエピソードのおかげ(?)もあって、配属先はデータ系の部門になった。就活の合否から配属先までを一挙に決定してしまうくらい強力なエピソードだった。というかほぼこれ一本で就活したと言っても良い。

今でもたまに考えてみることがある。大学一年生の時に家電量販店のバイトを始めていなかったら、今のバイト先に出会えていなかったら。自分はどうなったんだろうと。悪く見えていたら私の書き方が悪いのだが、家電量販店のバイトは腐りかけていた自分を真人間に戻してくれた。あれがなかったら自分は毎日不眠と動悸に悩まされ、大学と自宅を往復するだけの生活だった。 そこでの経験を通してまともに働けるようになり、体調もある程度落ち着き、今のバイト先にも出会える結果となった。あれが全ての起点だった。陽が落ちかけた夕闇の中、布団にこもりながらスマホで求人情報を探し、恐る恐る電話をかけたあの日の勇気を称えたい。

別にここから「みんなも勇気を出して一歩踏み出そう!」ということが言いたいわけではない。ただ、自分が今こうしてエンジニアとして就職するという数年前の目標を無事に達成できているのは、偏にその場その場での選択と、そこから発生した出会いや環境の変化のおかげだ。こうした良い出会いや変化を加速させる仕事がしたい。 そして、将来的には一から事業を作って育てていきたい。ひとまず入社先でデータを眺め、データと向き合い、色々と考えたい。

ここまでバイト関係ない身の上話も多くなってしまったので最後に。 「席は開けておくのでいつでも戻ってきて良いですよ。」と社長に言ってもらえたのが冗談でもお世辞でも嬉しかった。

2年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。